『ロビンソン・クルーソー』|読んだ本の感想

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漂流物が読みたくなって手に取った一冊。子供の頃には児童書で読んだけど、完訳版を読むのは初めて。これまで自分が持っていた『ロビンソン・クルーソー』という物語へのイメージが一変しました。

あらすじ

物語の舞台は17世紀。嵐で船が難破し、主人公ロビンソン・クルーソーは一人で無人島に漂着する。そこから長い年月に及ぶ無人島での生活が始まる。

島にたどり着いた当日は、食料を得る道具もなく身一つだった主人公だが、嵐の後、座礁した船から銃や弾薬、道具類など必要なものを運びだすことができた。その後、狩猟や採取で食料を得、住居を整え、やがては穀物を育て、家畜を飼いならすまでになる。

足りないものと足りているもの

一般的によく知られるあらすじや子供の頃に児童書で読んだイメージから、主人公が不自由ながらも努力と工夫で無人島でたくましく生きる姿を描いた物語…という認識だった。

しかし、実際に完訳版を読んでみると、サバイバル生活の部分よりも主人公の心情描写の方が、自分には強く印象に残った。

当初、主人公は自らの不運を嘆き、孤独な生活に不満を感じていたが、やがて命が助かったこと、食べ物に不自由せず暮らしていけている幸せに気がつく。

中盤では現状を受け入れて、自分に必要なだけの穀物を作り、作物を育て、満ち足りた気持ちで生活を送っている。

以下の抜粋はその折の主人公の独白だ。

およそこの世にある有意義なものとは、人が利用するかぎりにおいて有意義なのである。他人にあたえられるほど積みあげようとも、楽しめるのは自分の使える分だけで、それ以上ではない。(中略)

おのれの境遇の暗い面より、明るい面を見られるようになり、足りないものより、足りているものに眼を向けられるようになった。

この心情は自分には、とても共感できる。

以前の自分は「足りないもの」に注目して不満を抱えがちだった。不満の種は人間関係だったり環境だったりで様々だが、その時点でも満足できることはあったはずだ。しかし、満足している点に注目することはなく、その次に足りないものを探すということの繰り返しだったように思う。

自分にない才能や技術、あるいは境遇などに憧れて手に入れようと努力すること、それ自体は向上や進歩につながるので必ずしも悪いものではないと思う。

しかし、手に入れることそのものが目的になってしまっては、際限がなくなる。

「足りないもの」を手に入れる過程の中でも「足りているもの」にも意識を向け、「足りないもの」を手に入れる目的が何かということを常に忘れないようにしなければならないと思った。

信仰を持つことについて

自分は無宗教だが、折に触れて「宗教とは何だろう」と考えることはある。

先ほども述べたように、主人公は最初は孤独な悲運を嘆いていたが、熱病に苦しんだことをきっかけに信仰に目覚め、やがては神に祈ることで心の平安を得るようになる。

そんな主人公の心の変化を見て思ったのは、宗教とは、人が運命や境遇を受けいれるための手段なのかもしれないということだ。

大切な人が亡くしたり大きな災害に合うなど、自分にとって受け入れがたい事が起こった時、誰かや何かのせいにして責めるのではなく、起こったことは神の意志によるものだから他者や自分のせいではない、と現状を受け入れるために必要になるものなのかもしれない。

これまで自分にとって宗教は、意味のあるものに思えなかったが(信仰を持っている人を否定する意図はありません。あくまで筆者個人にとっては、という意味です。念のため)、そういう見方もできるということを確認するきっかけになった。

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