今日作った料理(牛肉のマリネ焼き)

牛肉のマリネ焼き お料理Diary
牛肉のマリネ焼き、切り干し大根、キャベツの梅あえ

おろし玉ねぎに漬け込んだ牛肉が柔らかくておいしい。肉は砂糖を入れずにしょうゆだけの味付けだけど、玉ねぎの甘みで甘辛味に。なんせ玉ねぎのパッケージがこれ。

甘くてごめんなさいの玉ねぎ

誤らなくてもいいのよ

SNSを通して感じた「個人」

最近Twitterを始めた。これまでSNSは避けて通ってきたのだが、やってみるとこれまでにない感覚を感じた。その一つが、有名人や芸能人などおよそ自分とは関わりがないと思っていた人たちが「人」なんだ、と感じられるようになったということ。何をいまさらと言われるかもしれない。

自分と同じ興味関心を持つ人たちや自分自身のツイートに交じって、作家や芸能人のツイートも流れてくる。投稿してからの経過時間が見えるため、つぶやいて間もないツイートを見ると、Twitterという仮想空間を、今あの人と共有しているんだなあと思う。遠い、どこかにあるぼんやりした「アイコン」ではなく「人」だと感じられる。

ある時、漫画家の幸村誠氏のツイートを見て考え事をしていたのだが、頭の中で自然に「幸村さん」と呼んでいる自分に気が付いた。これまで漫画家やミュージシャンの名前は、自分の中では呼び捨てだった。日々のツイートを読んでいるうちに自分の中で「好きなマンガの作者」というアイコン的位置づけから「幸村誠さん」という個人になったからだろう。

そこで、娘が高校生の頃に話をした時のことを思いだした。

私も娘も米津玄師さんの音楽が好きなのだが、その時娘は彼のことを「米津さん」と呼んでいた。当時の自分にとって、ミュージシャンの名前は呼び捨てにするのが普通だったので、さん付けで呼ぶのは不思議な感じがした。

最近になって、自分がツイート主に感じるのと同じように、娘も「人」を感じていたからこそ「米津さん」という呼び方だったのかもしれない、と気が付いた。(そうだとしたら娘の場合はTwitterではなく別のプラットフォームかもしれないが)

誰もが等しい立場で情報を発信したり発言をしたりできるSNSや動画配信サイトでは、皆が同じフィールドに立っていて、誰もが尊重すべき個人だ。

そういうものを当たり前のものとして育った娘たちの世代は、相手が政治家であろうと芸能人であろうと、自分の周りにいる友人たちと同様に個人として尊重する気風が強いように感じる。

今の時代に必要なそういう感覚を、テレビやラジオなど限られた人だけが発言できるメディアで育った自分は、Twitterを通して遅まきながら感じることができたのだった。

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